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女の子ものがたり女の子ものがたり
西原理恵子
小学館 刊
発売日 2005-04




人生と折り合いをつける子供たちの姿に不思議と心が添う
 幼稚園児のなつみは、ゆえあって父側の祖父のもとに一家で身を寄せることになった。海の見える村から山と田んぼと工場のある街へと越したなつみ。そこで知り合ったのはみさちゃんときいちゃんの二人だ。これは彼女たち3人の女の子の物語。
西原理恵子の、おそらくは自身の子供時代を投影した漫画です。経済的には全く恵まれない、勉強だって決して出来るとはいえない、3人の女の子たちはいわゆる不良と呼ばれる仲間たちとつき合いながら、山間の町で倦怠感と閉塞感を抱えながら成長していきます。
読んでいると、登場人物たちのその生活のすさみぶりに心がざらつく思いがします。ささくれだった日々は決して楽しいとはいえない数々のエピソードに彩られていて、いつ果てるとも知れぬ痛ましい物語の連なりに、ため息がもれるばかり。哀れというか、気の毒というか、なんとも形容しがたい書ですが、それでもなんだか不思議な魅力があるのです。
それはおそらく、世界というものがあたかも、自分たちが暮らす町の、目の届く範囲にしか存在しないかのような子供たちの世界観が非常によくとらえられていて、そこに、これほど気のめいるような子供時代を送ったわけではない私にも、懐かしく心重なるものを見つけることが少なくはないからでしょう。
そしてまた、登場人物たちが、自分たちの決して賞賛できるわけではない人生に対してまずまずの折り合いをつけて生きる姿は、それが諦念からくるものであるには違いないにしても、妙に共感を与えないではないのです。
人生のままならなく、やりきれなさを描くことにかけては、西原理恵子というのは大変巧みな作家です。本書はそのことを改めて感じさせる一冊です。
ですから、そうした西原理恵子流の人生観に触れる気分ではないという読者には、大変「痛い思い」を与える書であることだけは間違いありません。


西原理恵子好きは読んでおこう
おそらく西原理恵子自身の子供時代だろうな、と思わせる本。お笑いの要素はありません。露悪と切なさと子供の純粋さが強く描かれています。自分の子供時代を回想してみると、ひとつやふたつはシンクロする切ない思い出があるはず。生きていくだけで一生懸命な子供時代は「切なさ」なんて感じませんよね。表現できる大人になったからこそ描ける、子供時代の思い出話。

西原理恵子ワールドど真ん中
ぼくんち」と雰囲気は似ています。
が、「ぼくんち」は「読者をどこで感動させるか」みたいなのがはっきりしている(だからこそ映画化もされたのでしょう)のに対し、こちらは、実話に基づいている(と思われる)からでしょうか、なんだかやりきれないだけ、というエピソードもあるのですが、全体を読み終えると、どっちかというと特殊な環境の話、ともよめる「ぼくんち」よりも、そのへんのどこにでもいる、ふつうの人間の強さのようなものを感じました。
西原理恵子さんの投影、と思われる主人公が、後でヤンキー姉ちゃんになってからよりも、まだ小さい女の子のうちに友達ができなくてひとりぼっちのとき、自分の影をながめて(物語を作って)自分を慰める、とか、強烈な印象が残ってます。
芸として作品の質も(ストーリーとか、構成とか、絵とか)たいへん高いと思いますし、女の子が大人になる時の切なさみたいなものも見事に表現されていると思います。
人それぞれですが、私は西原理恵子さんが感想を限定している(肯定せよといっている)ようには読めませんでした。
ただ、上京ものがたりがさいごは双六の上がり、みたいな終わりなのに比べると、こちらは最後までほろ苦い感じで、好みがわかれるとしたらそこでしょうか。でも西原理恵子ワールド、好きな人には王道だと思います。


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